『秘密基地』つくりは つづく・・・

落ちかけている天井

痛んでいる床

はがした天井

新しい天井完成

複雑な形状の部屋に悪戦中

新しい床が完成!
みなさまとの出会いを大切に
敷居は低く、こころざしは高く、こころ温まるお寺を
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落ちかけている天井

痛んでいる床

はがした天井

新しい天井完成

複雑な形状の部屋に悪戦中

新しい床が完成!
人間と同じです 見えない所が大切なのですね
水平器とにらめっこしながら 新しい床板を
よし、では 畳屋さんへ連絡をし数日後に

畳が入り完成!

さて・・いかに改修するか?

ひのき材を・・・

完成です!

上部は銅版です・・・

「若草色の漆喰です」

「トイレは藁を混ぜて・・」

「庫裏も台所も・・・」

「養生開始」

「漆喰職人=小寺の住職」

「柱 補強作業」

「新しい古い柱」
先ずは、真っ黒のなってしまっている内陣(※1)を綺麗に

柱は、命名「サンダー君」で磨き・・・・
御宮殿と柱を養生し・・・
掃除後に白く塗り始めました・・・
右側を塗・・・翌日は左側を・・・
養生を外すと、素人なながら心をこめて塗った結果は
程好く綺麗に・・・
※1=【内陣】社寺の内部で、神体または本尊を安置してある奥の間。
わたくしが 神野寺住職になりましたのは
一言でいえば『仏縁』となりますが・・・
わたくしの人生遍歴は また 別な機会に少しずつ記していきますが
そして、辿り着いた小寺は前住職が遷化(※1)され住職不在となっていました・・・
また、境内、堂内も残念ながら、前住職が病気療養を繰り返していた為
大変に荒れた状態になってしまっておりました。
大本山 池上 本門寺にて約19年 奉職しておりましたが、
当山(※2)の一日も早い再興を目指す為に、平成21年12月に退職し
小寺再興に全力を尽くしております。
このような状況に導かれたのも やはり『仏縁』なのでしょう。
※1 【遷化】高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。
※2 【当山】当家・当社と同様です お寺には山号と言って「○○山」「◇◇寺」
神野寺の場合は「大孝山」「神野寺」となります ここから「当山」といいます。
出生~幼少~学生時代
昭和40年10月 世田谷区北烏山で産まれる
小学校1年生の時、昼間まで共に遊んでいた友人が急死する。
いま思えば、この頃から命について考えるようになったのでは…。
昭和56年 3月 立正中学校 卒業
中学時代は、小学生より続けていたテニスの練習&試合三昧の日々を過ごす。
同時に、授業にて宗教を学び興味を持つ。
昭和59年 3月 立正高等学校 卒業
高校時代は山岳部に所属し、国内各所の山に登る。高校2年夏には、日本の
高校生としてはじめて中国に海外遠征し、天山山脈の剣石Ⅱ峰に初登頂する。
この時の我が姿を見ていてくださった師匠より、後に「秀岳」の名を頂戴する。
昭和62年 3月 立正大学 仏教学部宗学科 卒業
大学進学時に仏教学部宗学科を選択。しかし、同学科は大半が僧侶を目指す
寺院御子息で、私のように在家出身者は授業についていくのに必死の日々。
解らぬことを学ぶため、友人の寺(横浜妙秀寺)へ頻繁に出入りをする。
(実際は学ぶより 遊んでいる時間が長かったような…)
この学友父の勧めもあり、妙秀寺住職師匠のもとで僧侶への道を歩み始める。
修行歴
昭和62年~平成3年
師匠が病に倒れ、師匠友人の法性寺(横浜市)住職が新師匠となって
私を引受けてくださり同寺にて住込み修行をする。
この時代に僧侶としての基本を学び、さらには各修行をさせていただく
有り難い機会に恵まれ、多くを学ばせていただく。
昭和63年 8月 第二期 信行道場 修了
平成 2 年 6月 ~ 11月 布教研修所 入所
平成 2 年 布教院 入院
いまだ 日々修行中です
職歴
平成3年4月~平成21年12月 大本山池上本門寺に勤務
師匠の勧めで大本山池上本門寺に役課として勤務する
勤務中は、参拝部~事業部(朗峰会舘支配人)として奉職する。
また、イキイキ推進委員会事務局長として現代布教の形を模索し
コンサートや各種催し企画実行する
平成21年 8月~ 神野寺第三世住職に就任し寺院再興を目指す


