BLOG - 日蓮宗大孝山 神野寺

日蓮宗大孝山神野寺

みなさまとの出会いを大切に
敷居は低く、こころざしは高く、こころ温まるお寺を

神野寺たより

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私『昭和40年男』です

以前記載いたしましたが、6月11日に発売されました

『昭和40年男』と言う雑誌に掲載されました。

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前住職が病気療養等の事情により、その灯が消えかけていた当山ですが

皆様のご協力により少しばかり 明かりが灯りはじめました。

その様子と私の思いを知人の紹介で掲載していただきました。

個人としては 大変恥ずかしさもありますが・・・

今回の取材をお受けした理由は幾つかありますが

そのうちの一つは 紹介者が大変熱い人間である事。

そして、さらに大きな理由は建物の再興にご協力いただいた

方々や常に当山を気にかけてくださっている皆様にお礼をしたい

そんな気持ちがありました。 

記事は私を取り上げている形ですが、その本意は共に当山の再興に

ご尽力いただいている皆様の記事だと思っております。

そして、素敵な文章を書いてくれた 新人女性ライターさんにも感謝です。

三人の師僧

僧侶になるには、まず師僧(師匠)のもとで弟子として得度(※)します。

父親を師僧として得度する お寺の息子さんなどが多いのが現状ですが、

私は、三人の師僧と出会いました。

一人目の師僧は、我が学友の父親です

この師僧は、私を僧侶の道に導いて下さいました

ご本人のなんとも素敵な雰囲気「美を求める姿」「人を喜ばせる演出」等々・・

実は、ご自身が美術系の仕事から僧侶の道へ進まれたとのことでした。

しかしながら、私が本格的に僧侶の修行を始めた直後に病に倒れ

長期の療養が必要となってしまい、師弟関係の継続が困難になってしまいました。

事実上、師僧を失い 途方に暮れる私に

「よければ、私が師僧として面倒みるよ」

と声を掛けて下さったのが第二の師僧です。

二人目の師僧は、次々と境内整備を進める大変アクティブな方で

その師僧のもとで 僧侶としての基本的修行をさせていただき

さらには、数々の修行・研修等々に参加させていただきました。

数年間を過ごした頃、師僧の計らいで 

大本山池上本門寺へ勤務する事になりました。

同時に私の叔父へ師僧を変えることを薦められ

叔父が第三の師僧になりました。

三人目の師僧は、弟子となった私に

「貴方には、もう何も 教える事はない・・・・

色々と学び修行も終えてすでに本山に勤務している身だから

今更 言う事はない、ただ一つだけ伝えたい事は 

けして 大勢の人を救おう等と思うな たった一人でいいから、

 お上人のお陰で助かりましたと心から言ってもらえる方をつくりなさい」

と言われた。当時20代半ばの私からすると・・・

日蓮宗の僧侶として大勢の方々を救う事が使命と考えるところがあり

その時は 叔父は何が言いたいのか? と疑問と若干の反発心を感じていた。

その後、僧侶として色々な方々と様々な場面で出会い、色々な相談事や

喜び悲しみを共に経験する度に 師僧の言葉がなぜか頭をよぎり

「あっ 師僧が言っていた たった一人 の一人がこの人か?」と思い

そして、目の前の方と真剣に向きあってきました。

気がつけば、出会うすべての方々と真剣に接するようになり

数年前に やっと師僧の言葉の意味深さに気づきはじめました。

縁を大切に、日々真剣に人と接する! 

この師僧はすでに遷化しましたが、師僧の言葉は今も私の中で生き続けています。

三人の師僧との出会により 今があります 

『知恩報恩』=恩を知り恩に報いる 

と言う言葉があります。

各師僧をはじめ お世話になった皆様に感謝し 

少しでも報いる事が出来るように 小寺にて日々出会いを大切に

過ごしてまいります。

※【得度】は仏教における僧侶となるための出家の儀式

『ちゃんこ』と『法話』?

ご存知かと思いますが、ちゃんこ と言えば ちゃんこ鍋 が頭に浮びますが

実は、お相撲さんが口に入れる食べ物はすべて 『ちゃんこ』 なのです

そう、鍋はもちろんですが・・・カレーも・・・納豆ご飯も・・・中華も・・洋食も?

実際にどの様な食生活なのかは知りませんが・・・

これは、私なりの考えですが

実は お坊さんの口から出る言葉はすべて 『法話』 だと思っています。

色々な方と色々な場面で普通にお話をしている中でも、

自然と大切な事を伝えられればと心掛けております。 

だからと言って けして難しい話はしません、もちろん

難しい仏教語等を使ったり 相手に如何にも「お説教」と思われるような話し方もしません。

ただ、お話をした方々が どこか ホットしたり 気持ちが和んでくださればいいのです。

そして、そんなお話の時間を過ごしている事が私自身にも大きなプラスをいただいて

いるのですが・・・人生日々出会う方々に感謝です。 

取材を受ける

正式には、形になった時に報告いたしますが

本日はとある取材を受けました・・・

元々 本山に勤務していた時に知合った熱いカメラマンとの

交流から頂戴したお話です。

彼は「林健次」と言い 詳しくは彼の写真集「生きる為に人は夢を見る」

是非ご覧下さい。

今回は「S40年生まれ」がポイントで 「偶然」にもわたくしが S40年生まれ

である事から・・・我が道を取材してもらいました。

「偶然」と記しましたが 実はすべての物事は

「偶然」ではなく「必然」だと思っています 

私が今の道に進んでいる事も、彼の人生も、彼と出合った事も、

そして、本日私が取材を受けた雑誌の前号を一冊いただき 

パラ~と頁を捲っていると「あれ? うそ!」と声を上げてしまいました

我が同級生にして、同じ山岳部で共に中国まで海外遠征をした

同士の活動する姿が載っていました。

彼と同じ雑誌に載る(予定) これも「必然」なのでしょう。

生まれながらの・・・

我が歩みを少しずつ・・・(順不同に 思い出した事をその都度記します)

まずは、生まれた時のお話です

東京都世田谷区烏山にて 次男として「オギャ~」と産まれました・・・と記したい所ですが

実は産まれて直には産声をあげず、両親をはじめDrにもかなり心配をかけたとの事です。

そう、生まれながら周囲に心配をかける親不孝者か?

それとも、生まれながらの横着者か?

そして、なんとか今生に生を受け 祖父より名前を「孝」(たかし)と名づけていただきました。

祖父は 熊本県人吉市にある 林鹿寺(りんろくじ)の第四世で

荒れ寺を一代で中興した僧侶で、私がお腹にいる時に遷化いたしました。

父は、寺の末っ子で大学入学と同時に東京に居住し

大学卒業後は社会人として仏門に入ることなく過ごしておりましたので、

わたくしも幼少期はまったく仏門とは離れた暮らしをしていました。

しかし、不思議なもので・・・やがて自ら道を求め僧侶となり

しかも、幼名「孝」の文字が ご縁をいただいた 当山の

山号「大孝山」の「孝」なのです

さらに、祖父と同様に荒れた状態での入寺(※)です。

きっと生まれながらの道なのでしょう。

祖父のように、寺院の再興を一代で出来るかは いささか不明ですが・・・

※【入寺】(にゅうじ)僧侶が寺院の住職としてお寺の入る事、晋山とも言います

とりあえず完成・・・いよいよこれからが・・・

4月8日に先代 当山第三世 智妙院日円上人 三回忌法要を 営む為に、急いでいた修繕作業ですが・・・ 少しあちら~こちら~と手を広げすぎ・・・・間に合うか不安になっていましたが ギリギリで完成しました ほぼ妥協せずに 完成です
綺麗になった堂内

綺麗になった堂内

壁も床も綺麗に・・・

壁も床も綺麗に・・・

明るい空間が・・・

明るい空間が・・・

この間、ご協力いただいた 関係各位に心より感謝いたしております。 作業後半は 堂内にて先代の御遺影と向き合いながら 「だいぶ 綺麗になりましたよ~ なんとか間に合います~」などと 語りかけていましたが 先代の御遺影が微笑んでくださり 綺麗になった事を誰よりもよろこんでいると実感いたしました。 さぁ~これからが はじまりです この空間をいかに活用するか? 益々皆様のお知恵~お力をお貸しください。

『秘密基地』つくりは つづく・・・

書院(和室)の床修繕作業を友人と無事に終了し 秘密基地づくりに すっかりはまった 中年男組は、次なる現場(部屋)へ 天井が落ちかけて・・・床も弱ってしまっている庫裏を見て
落ちかけている天井

落ちかけている天井

痛んでいる床

痛んでいる床

さぁ~どうしよう? とりあえず 天井の板を一枚だけ はがしてみる事に いつもながら 止まらぬ二人 簡単な修繕の予定が ホームセンターへ行き天井材を購入し 古い天井材をはがし
はがした天井

はがした天井

新しい天井材を張る事に・・・・
新しい天井完成

新しい天井完成

床も痛んだ箇所を新しい部材張り
複雑な形状の部屋に悪戦中

複雑な形状の部屋に悪戦中

上部も綺麗に仕上げ
新しい床が完成!

新しい床が完成!

連日、深夜までの作業でしたが 久しぶりに親友と楽しい時を過ごし 思い出に残る作業でした。 無謀な挑戦に付き合ってくれた友人に 心より感謝しております。

皆でつくる『秘密基地』

漆喰職人修行を修了し、つぎは・・・・さすがに 畳の張替えは畳屋さんへお願いしなければ そこで、畳屋さんに見積もりをお願いする事に しかし、畳屋さんから 「この部屋は畳張り替えても 床が歪んでいて 直りませんよ」と 寂しいお言葉が 確かに一部が盛り上がり 左右は落ち込み 複雑な床です。 さぁ~如何しよう? と悩む私と 時々手伝ってくれていた 旧友(高校同級生)と顔を見合わせ・・・・ 次ぎの瞬間 ほぼ同時に 「畳って 何日ぐらい預かってもらえますかぁ~」と私と旧友の口から 阿吽の呼吸で よし、じゃ 床張替えるぞ! と言う事で 私と旧友で数日後に実行する事に まずは、古い床をはがし 「古い床板」VS「古い友人」 床下を修繕 人間と同じです  見えない所が大切なのですね 水平器とにらめっこしながら 新しい床板を新しい床板です よし、では 畳屋さんへ連絡をし数日後に
畳が入り完成!

畳が入り完成!

無事に平らな畳の部屋が完成しました。   作業中に気がついた事ですが 幼い頃に、空き地に『秘密基地』をつくった記憶が・・・ なぜか『秘密基地』なのに つい仲間に話したくなる~ 家や学校で 嫌な事があったら『秘密基地』へ行き時を過ごすと 気持ちがすっきりとして再び日常にもどれる そうだ! お寺は『秘密基地』と同じ・・・ 心の和む空間を まさに今、皆さんの協力でつくっています。

心の門・・・

当山の門は、タイル張りで普通の家の門のようで・・・ お寺の雰囲気が感じられない門でした。 そこで、門を改修することに・・・ と言っても なにぶん貯えの無い小寺です 総代御子息と私で少し手作業で改修する事にしました
さて・・いかに改修するか?

さて・・いかに改修するか?

ホームセンターで材料を購入し、作業開始です
ひのき材を・・・

ひのき材を・・・

完成です!

完成です!

細部にも こだわりが・・・
上部は銅版です・・・

上部は銅版です・・・

「日蓮宗 大孝山 神野寺」 の文字も新たにしました。 出来上がった門は 立派なお寺の総門とは明らかに異なる 小さな小さな手作りの門ですが、有志者が心をこめてつくり上げた心の門です。 この門を多くの方が、気持ちよくぐっていただければその時に この門は 立派な門となると思っております。

漆喰職人修行で学ぶ

漆喰を塗りはじめ、あちらも~こちらも~とすっかり漆喰職人への道を 歩んでいる小寺の住職です。 一部屋は「若草色に」
「若草色の漆喰です」

「若草色の漆喰です」

トイレも塗る事に・・・
「トイレは藁を混ぜて・・」

「トイレは藁を混ぜて・・」

その後は庫裏~台所と塗って
「庫裏も台所も・・・」

「庫裏も台所も・・・」

 概ね漆喰職人修行はまもなく卒業・・・ ここで 学んだ 大切な事は 漆喰塗りで最も大切なのは 先ずは下準備の「養生」です 養生が綺麗ならば、養生を外した時に綺麗に出来上がるのです。 下準備がしっかりと出来ていないと・・・・ 人生も同様だと実感します。 どの様な道でも しっかりと 下準備(基礎を身につけ)ていれば やがて綺麗に・・・ 人生自体が ある意味 下準備とも言えるかも知れません まずは、今生にてしっかりと下準備をしなくては・・・・

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