研修時代の思いを今も・・・・

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私が20年前に入所していた「日蓮宗布教研修所」※の

同期が集いました。

今回は九州地区の同期が幹事で福岡にて開催され

久々の対面の者もおり、互いに近況報告やら

懐かしい話で・・・大いに盛り上がりました。

研修所入所中は、日々法話を中心とした学びの時間でしたが

研修仲間で色々と話し合ったりしながら

6ヶ月の間 苦楽を共にした仲間です、20年経過した今でも

会えば すぐに20年前に戻ったかのように過ごせます。

 

私はこの研修で多くの事を学びました、そして研修中の熱い思いを

研修修了後も忘れずに継続したい! そんな思いで、研修修了後

さらに一泊させてもらい翌朝に千葉県市川市から当時お世話になっていた

横浜市のお寺まで、団扇太鼓を手に一人で行脚にて戻りました。

そして、今も研修時代の熱い思いを持ったまま歩いています。

(余談ですが 途中銀座周辺でOLさん達に不思議な目で見られた記憶が・・・)

 

 

※布教研修所は日蓮宗の僧侶が時代に応じた布教を行うために、法華経・ご遺文の

研鑽と布教実践の理論・技術、さらには社会活動及び社会教化事業に関する研修に励み、

日蓮宗の布教伝道の充実・発展を担う布教師を育てる場です。日蓮宗の将来を担う20代~

30代の若い僧侶が、日蓮大聖人ご凄神の霊地身延山で、毎年6月から11月までの6ヶ月間

の研修生活を行っています。 (参考 日蓮宗ポータルサイトより) 

私が入所した頃は千葉県市川市の真間山弘法寺で行なわれておりました

三人の師僧

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僧侶になるには、まず師僧(師匠)のもとで弟子として得度(※)します。

父親を師僧として得度する お寺の息子さんなどが多いのが現状ですが、

私は、三人の師僧と出会いました。

一人目の師僧は、我が学友の父親です

この師僧は、私を僧侶の道に導いて下さいました

ご本人のなんとも素敵な雰囲気「美を求める姿」「人を喜ばせる演出」等々・・

実は、ご自身が美術系の仕事から僧侶の道へ進まれたとのことでした。

しかしながら、私が本格的に僧侶の修行を始めた直後に病に倒れ

長期の療養が必要となってしまい、師弟関係の継続が困難になってしまいました。

事実上、師僧を失い 途方に暮れる私に

「よければ、私が師僧として面倒みるよ」

と声を掛けて下さったのが第二の師僧です。

二人目の師僧は、次々と境内整備を進める大変アクティブな方で

その師僧のもとで 僧侶としての基本的修行をさせていただき

さらには、数々の修行・研修等々に参加させていただきました。

数年間を過ごした頃、師僧の計らいで 

大本山池上本門寺へ勤務する事になりました。

同時に私の叔父へ師僧を変えることを薦められ

叔父が第三の師僧になりました。

三人目の師僧は、弟子となった私に

「貴方には、もう何も 教える事はない・・・・

色々と学び修行も終えてすでに本山に勤務している身だから

今更 言う事はない、ただ一つだけ伝えたい事は 

けして 大勢の人を救おう等と思うな たった一人でいいから、

 お上人のお陰で助かりましたと心から言ってもらえる方をつくりなさい」

と言われた。当時20代半ばの私からすると・・・

日蓮宗の僧侶として大勢の方々を救う事が使命と考えるところがあり

その時は 叔父は何が言いたいのか? と疑問と若干の反発心を感じていた。

その後、僧侶として色々な方々と様々な場面で出会い、色々な相談事や

喜び悲しみを共に経験する度に 師僧の言葉がなぜか頭をよぎり

「あっ 師僧が言っていた たった一人 の一人がこの人か?」と思い

そして、目の前の方と真剣に向きあってきました。

気がつけば、出会うすべての方々と真剣に接するようになり

数年前に やっと師僧の言葉の意味深さに気づきはじめました。

縁を大切に、日々真剣に人と接する! 

この師僧はすでに遷化しましたが、師僧の言葉は今も私の中で生き続けています。

 

三人の師僧との出会により 今があります 

『知恩報恩』=恩を知り恩に報いる 

と言う言葉があります。

各師僧をはじめ お世話になった皆様に感謝し 

少しでも報いる事が出来るように 小寺にて日々出会いを大切に

過ごしてまいります。

 

※【得度】は仏教における僧侶となるための出家の儀式

生まれながらの・・・

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我が歩みを少しずつ・・・(順不同に 思い出した事をその都度記します)

まずは、生まれた時のお話です

東京都世田谷区烏山にて 次男として「オギャ~」と産まれました・・・と記したい所ですが

実は産まれて直には産声をあげず、両親をはじめDrにもかなり心配をかけたとの事です。

そう、生まれながら周囲に心配をかける親不孝者か?

それとも、生まれながらの横着者か?

そして、なんとか今生に生を受け 祖父より名前を「孝」(たかし)と名づけていただきました。

祖父は 熊本県人吉市にある 林鹿寺(りんろくじ)の第四世で

荒れ寺を一代で中興した僧侶で、私がお腹にいる時に遷化いたしました。

父は、寺の末っ子で大学入学と同時に東京に居住し

大学卒業後は社会人として仏門に入ることなく過ごしておりましたので、

わたくしも幼少期はまったく仏門とは離れた暮らしをしていました。

 

しかし、不思議なもので・・・やがて自ら道を求め僧侶となり

しかも、幼名「孝」の文字が ご縁をいただいた 当山の

山号「大孝山」の「孝」なのです

さらに、祖父と同様に荒れた状態での入寺(※)です。

きっと生まれながらの道なのでしょう。

祖父のように、寺院の再興を一代で出来るかは いささか不明ですが・・・

 

※【入寺】(にゅうじ)僧侶が寺院の住職としてお寺の入る事、晋山とも言います